安楽死について。賛否とその問題。個人の自由は、権利か義務と感じるか。同調圧力は怖い

引き続き「安楽死」について。安楽死の賛否やその問題安楽死について備忘録。

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安楽死について

大きく分けて「積極的安楽死」と「消極的安楽死がある。

  • 積極的安楽死:「殺すこと」の一種。命を終わらせる為に「何かをする」。人為的手段による)苦痛からの解放
    • 直接的安楽死:直接死が意図する
    • 間接的安楽死:副次的結果で生命短縮。直接の意図は苦痛の緩和など死以外での結果(鎮痛剤投与で患者の死期を早めたなど)
  • 消極的安楽死:「死ぬに任せる」の一種。積極的に延命治療を行わない。無理に治療しないでおく。何もしない。いたずらに長引かせない。手を出さない。自然死に向かわせる
  • 純粋安楽死:肉体的苦痛緩和を目的、生命短縮を伴わない場合。治療行為・緩和ケア

安楽死」と「尊厳死」、日本だと違うものとなっている。

  • 安楽死:医師が致死薬注射して死ぬ
  • 尊厳死:延命治療しないで死ぬ

世界的には「安楽死」と「尊厳死」は殆ど違わない。世界共通の定義は存在しない。患者の権利をどこまで認めるか、国や地域ごとに考え方は異なる。ナチス時代のドイツであった殺人プログラムの湾曲した言い方として「安楽死」の名を使っていたこともあって、捉え方が代わってくる。

尊厳死」最後が自然の死。人間としての尊厳もって、過剰医療避け自分で死を選ぶ。延命措置を行わない。致死性薬物摂取。安らかに人間らしい死。

  • 慈悲殺-思いやりの観点、同情先行とも
  • 医師ほう助自殺-医師処方の致死薬を患者自身で服用。医師は誘導だけ(貰った薬を飲まないままの人もいる。病気で飲みたくても飲めない場合含)

積極的か消極的か、位置付けが微妙とも。本人の意思の有無をさらに区別して、

  1. 自発的(任意的)安楽死:(意思能力のある成人、自らの意思で死を望む。患者本人の同意に基づく)
  2. 非自発的(非任意的)安楽死:(重度障害新生児や昏睡状態の成人など、本人に判断能力がない。本人の同意取らずまたは推定)
  3. 反自発的(反任意的)安楽死:意思能力を備えているのも関わらず、本人の意向に反して同意を取らず→強制的安楽死

自分の末期医療の内容についての要望を明記しておく文章(事前指示書)のことを「リビングウイル(living will)」という。延命医療の希望の有無など。

賛否について

安楽死」についての考えで、見掛けたもの。書籍レビューやニュースのコメント、個人ブログや質問サイト(知恵袋、OKWAVEなど)。軽めのも含めて。主に積極的安楽死についてのもの。

反対派

  • 自殺ほう助だ、命を止めたら駄目
  • 命は守られるべきもの。命の尊さ神聖さ。自ら断つのは駄目
  • 望まない死の強要される可能性がある怖い
  • 迷惑掛けるからと死を選ぶ意見が出るおそれ
  • 患者が救済される可能性を奪う(新薬や治療の開発など)
  • どんな理由(介護での辛苦など)があっても殺人は駄目
  • 濫用の恐れ。殺人との境界が曖昧(遺産など)
  • 治療費掛かるから殺そうと安易に思う人の危険性
  • 経済的に厳しい人が選択してしまう(経済的貧富差の問題)
  • 意思は影響を受けやすく移り変わるもの
  • 安楽死選択した家族の精神的負担が大きくなる。医者の負担も

命を止めることに抵抗がある感じ。宗教的な理由も。認められた場合の、選ばなければ責められているように感じる世間的な心配。安楽死できることで生まれる弊害に対して。

賛成派

  • 自分で決めたい。自分が自分であるうちに。自己意思・自己決定権
  • 生の押し付けは嫌。死ぬ権利があっても良い。無碍に長生きが美徳とは違う
  • 医療費増大だから(家族・医師の判断でなら)。治る見込みのない人より、治る可能性のある人に分ける方が良い
  • 高齢化社会になることを思うと、早く考えるべき
  • 苦しむより穏やかに最期を迎えたい。医療器具等チューブが刺さっている状態は、本人と周りにも不快
  • 延命治療拒むのが合法なら、薬剤投与で死期早めても良いと思う
  • 自分はしないが、他の人がしたいと思うならしても良いと思う
  • 介護で周囲や家族に迷惑を掛けたくないから(介護の費用や負担)
  • 病気などで苦しそうだから。楽にしてあげたい。頑張れとは言えない
  • 嘱託殺人で事件になるぐらいなら認めた方が良い。当事者なら「殺してくれ」と頼まれたら、引き受けてしまうかもしれない
  • 苦しまず迷惑をかけずに死ぬ方法。人様に迷惑掛けてまで生きたいと思わないのではないか

終末医療、治療や介護の辛さしんどさからくる感じ。嘱託殺人でのニュース記事でのコメントだと認めて欲しいが多い印象。痛みのあまりに叫ぶ姿を目にしたことがあるかないかは大きい。介護を他人事か自分事に思うかでも違う印象。個人の希望を優先した感じ。

安楽死の肯定論として、

  • 治療の観点から:死による苦痛除去も治療ケアのひとつ
  • 功利論:生命の尊厳性を人格的生命に認め「自己意識」が条件。条件満たさないなら、死は許される
  • 権利論:患者の自己決定権に従い自発的な安楽死を認めるべきだ

条件付き賛成派・慎重派

  • 誰が安楽死して良いと判定するのか
  • 本人が望んでも家族が反対したら駄目
  • 本人の意思で選択できるなら
  • その判断基準による
  • 環境が整っていない。まだ時期が早い
  • 緩和ケアをしてからが良い
  • 強制の風潮は作ってはならない
  • 耐えがたいだけでは足りない、終末期の要件も

安楽死をするかどうかの判断。緩和ケアは、苦痛で死にたいと望んでいた人が、そうでなくなる可能性もあるのだとか。条件については、積極的安楽死が認められている国では、認められる為の要件(自己決定、熟考、耐え難い苦痛、改善の見通しがない、医師の認定、年齢制限など)がある。

心配派

  • 望まぬ安楽死への危惧(本人でなく家族が主張した時)
  • 死にたくなくても、空気を読んでしまうんじゃ(同調圧力
  • 法制化が医者と患者の信頼関係を阻害しそう
  • 命の選別が起こる可能性(優生思想)
  • 質の高い生き方でないと、生きていたら駄目と思えそう
  • 死ぬ権利でなく、義務にスライドしそう
  • 手続きを踏んだ殺人事件が横行しそう
  • なしくずしに行われる危険性
  • 賛成する人の主張に危うさを感じる

個人の権利としながら、個人の希望でなくなることへの心配。

団体として、推進派と反推進派とどちらもある。一般の人、医者、他医療関係者、政治家とで印象が変わる。看護師さん向けのサイト内でアンケートがあった(安楽死に賛成?反対? | 看護roo!)。92%の賛成とあり、医療関係者だからかと思ったけど、医師の方の記事で、安楽死に賛成する医師は極めて例外的とし、死について悩むことこそが医師の正しい姿ともある(「人間に自殺をする権利はない」医師が"ゆっくりした安楽死"の間で考えたこと 医師は死について悩みつづける存在| PRESIDENT Online)。

介護関係のサイトでの記事に、安楽死についてのコメントが多くある(日本人の7割以上が安楽死に賛成しているのに、法律で認められない理由とは?|ニッポンの介護学|みんなの介護求人

あと賛成8割以上というのを見掛けたけど、安楽死についてのがどれのことが分からない(元のを探し中)。

事前にどうするかを書いておく指示書

あまり耳馴染みの無い言葉で「リビング・ウェル」という終末医療について植物状態になったら人口呼吸器を外すといった事前に書いておく指示書がある。オランダ、アメリカ(ほとんどの州)でリビング・ウィルを法制化され保障されている。

終活で「エンディングノートが少し話題になったけど、その中の一つに医療についても書く欄があった。最低限だけでも書いておくと後々便利。財産など悪用する例もあったから保管には注意だけど。書く項目が分かりやすいノートとして1,000円前後で売ってたり、PDFファイルでダウンロードできたりする。

気軽にだと、項目だけコピペして、ワードかに貼り付けてパソコンで打つのが楽そう。「基本情報、財産、契約関係、医療や介護、葬式、相続、友人などの連絡先」など備忘録的なものとして役立つ。リビング・ウェルは例文があるので見ながらが良い。テンプレートもあり、項目ごとにチェックするタイプだと楽。法的効力はないけど判断する根拠になる。

リビング・ウィル、規定はないが「延命措置」「苦痛の緩和」「蘇生処置」などについてどうするかを書く。定期的に見直しした方が良い。

安楽死についての問題

安楽死関連の記事などを見ると、問題点として見掛けるのが、

  • インフォームド・コンセントの徹底
  • メリットとデメリットの比較
  • 終末期医療の法的基準が明確でない。回復・末期はどのような状態か
  • 医療保険制度の整備(財源の問題)。家族の負担
  • はっきりとした指針がない。法律を欠く
  • 患者の意思表明を再確認できない状態で有効としてよいのか(リビングウィルで意思表示したと扱って良いのか)
  • 必要な情報をすべて得た上での選択なのか
  • 患者の立場からは不十分。死ぬ権利を法律で保障することが適切なのか
  • 特定の解決策として安楽死に誘導されるのじゃ
  • 自己決定だから、良いのか? 経済的理由で選ぶ場合、自由意志なのか?
  • 価値判断の違いで、生きたいと思う人に対して、圧力にならないか
  • 難病で早く楽になりたいと思うのは当たり前
  • 高齢者の終末期の介助という問題
  • 医師が延命治療(呼吸器装着など)を諦めさせようとしないか
  • 身体的障害または精神的障害を持つ人を不安にさせないか
  • 社会的不利な立場などで、自己決定権を主張する力がない場合は?

瀧川ゼミ「尊厳死と安楽死」PDF14~19pに「日本での尊厳死の問題点」が掲載されている。

選択時の問題として情報・誘導・圧力・経済的事情、それを判断する際の指針・法整備・法的基準。

雑感

数年前に一度調べてまた調べなおし。ALS患者の安楽死事件があった為か、安楽死関連の記事が増えた印象。安楽死したい人の話を読むと、影響を凄い受ける。

尊厳死法の成立で、影響を受けるとされる病気として、認知症植物状態・ALS・癌、その他の難病など。

長くなって分けた日本での安楽死関連の事件などについて。

安楽死の問題の焦点として、

安楽死」の是非をめぐる議論がなされて随分になるが、一貫してこの問題の焦点となるのは、終末期患者の「自己決定権」を認めるべきかどうかという点である。

「安楽死」問題にみられる日本人の死生観 ̶自己決定権をめぐる一考察̶ 冲永隆子(PDF)2pより)

とある。「自己決定権」とは、個人が自由に決定する権利のこと。憲法第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が根拠に。

日本では「患者の自己決定権」が法制化されておらず、軽視されやすい傾向とある。自己決定権は自己責任を伴うとなるのは問題だともあり、選択を決定する前提として情報を知っていることが必要に。合法化された国などは、個人主義が強く文化の違いがある。日本だと同調圧力を強く感じ勝ち。外国でも、別種の同調圧力はある。

幾人かの考えであった「日本では、議論が足らない/必要」というのが現状みたい。海外だと権利運動の影響で法案が認められたりするけど、日本だと一部の熱心な団体がする印象で、あまり良いものと思えないものもある。先に法制化しても、何だかんだ順応する気もする。順応性というか、そういうものとされたらそうなのかという、これも同調性か。

安楽死が認められている国での見方の一つに「患者の権利を守るために法律で定める」とあって、「望まぬ安楽死させられる」とは逆なのが印象に残った。早い段階で安楽死の議論があったりする。

リスクとか聞くと良く分からなくなる

インフォームド・コンセントや、情報の認識や考慮がどうのとかは、専門の方が考えてくれたらという感じ。いざ安楽死したいかどうかと聞かれると、自分に腰痛頭痛はあれど、それが「耐えがたい」レベルではない。痛みにより死んでしまいたいと思えるほどで、終わりの無い痛み。想像だけでは実感は涌き難い。正味、答えが出せない・考えられないとなる。いつ考えるのか、しんどい時にまともに考えられるのか? 今日は生きたい、明日は死にたいでは決まらない。それに法制化のリスクとか聞くと良く分からない。

医療関係者でなく安楽死を認めてと強く言う人は、現段階で痛みなどが深刻な人が多い印象。家族を殺す嘱託殺人事件を聞くと、安楽死が認められていたらと思ったけど、結果論な気もする。ああいった事件はやるせない。
「呼吸器外して」と頼まれても「捕まるので無理」と医師などが断るのは当然。だけど、患者や家族のことを考えた医者が殺人罪になるのもやるせない。

死にたいと言う患者に、どのように対応するべきかの質問に対しての回答の中で、苦痛として、生きる意味が見出せない、他人への負担感があるとされ、

「自己決定」(=自分のことは自分で決める)、「自己責任」(=自分の生き方は自分で決める)という、生きていく上での原則が、「こんな状態で生きていくのなら、死んだほうがよい、早く死なせてほしい」と患者を追い詰めているのではないでしょうか。

「早く死にたい」と言う患者への対応【社会や医療の自己決定・自己責任の原則が患者を追い詰めているのでは】|Web医事新報|日本医事新報社より)

とある。他人に迷惑掛けない、自分のことは自分でとあると、援助を拒否してしまう。きっちりした人ほど辛い印象。

別の方の言葉で、人を死なせることの是否に語る前に重要なこととして、

私たちはそもそも「死にたい」と言ってる人が、死にたくなくなるような、もういっぺん生きてみたくなるような手立てを、ほんとに十分に尽くしているんだろうか、ということが一つ。それから、それぞれの人の「死に方」を尊重する前に、われわれはその個人が、自分の「生き方」を追求することを尊重できるような社会を作ってきたんだろうか、ということが一つ。

緊急集会「安楽死・尊厳死の問題点と介助者確保について」開催報告-2018年11月28日(PDF)15pより)

とし、今の日本では論外だと。不安を煽ってこうしたら良いと安楽死に誘導される、自分で決めたなら良いのか? と考えさせられる。

安楽死云々もだけど、日本では終末期の医療判断が現場の話合いで決まる状況のが気になる(「特集 高齢者終末期の医療とケア(三浦 久幸)」日本老年医学会雑誌第48巻第3号(PDF))。

あまり好きでないのが、この考えは「世界的な流れ」「後進国」「時代遅れ」という論調。一つの側面だけ見て、外国を評価したりも(犬猫の殺処分がどうのとか、死刑の数とか)。だから「世界では安楽死を認める流れだ」も少し苦手。国の数で言えば、認めていない国のが多い。

個人として見るか、全体として見るか

賛否や問題点を見ていると、賛成の人は個人単位(自分なら)で見て、諸手で賛成できない人は全体として見ての心配から危惧する感じ。難病患う本人または家族、医療従事者の方らは、苦しさを目の当りにしているからか、賛成が多い印象。家族は、介護苦と経済的苦も合わさる。それでも生きて欲しい、という気持ちもあるだろうけど。医療従事者の方らも、安楽死に賛成とは思っていても、いざ家族だとどうなるか分からないとの話も聞く。ただ安楽死関係に興味がある人を対象にしたアンケートだと、賛成がおのずと多い気もする。

慎重な方のは、法整備や判断基準とかは、ある程度は解決できそうな気もするけど。本人の意思表示ができない状態でだと、事前の指示書が無ければ家族がするけど、判断はどうするの?とは思う。本人が言ってた言わないで揉めそうだし、なにが本人の希望なのか。経済的理由で家族の希望も入ってしまうんじゃとも。

心配の中にあるのが、同調圧力と優生思想の懸念。同調圧力は弱い人、多そう。当たり前とすることが怖い感じがあるのは分かる。人に迷惑掛けたくないというタイプと、人に迷惑掛けても平気というタイプとでは、受取り方も変わるだろうし。

安楽死関連の書籍

安楽死が合法の国で起こっていること (ちくま新書 1759) 鎮静と安楽死のグレーゾーンを問う ―医学・看護学・生命倫理学・法学の視点 新版-「生きるに値しない命」とは誰のことか-ナチス安楽死思想の原典からの考察 (中公選書)   安楽死から尊厳死へ:法と社会の関わりにみる人の「死」と歴史的変遷(22世紀アート)  生きるための安楽死---オランダ・「よき死」の現在 私の夢はスイスで安楽死

安楽死について書かれた記事など

論文とか(PDFファイル)
自己決定権についての記事

安楽死関連で以前に書いた記事

安楽死」について調べてみると、記事から書籍に論文までと多くある。長くなったので、外国でのと、日本での事件や流れは別記事にて。